情報・広報・HP部会
活動報告
『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載
2023-05-10
太平洋戦時中の昭和18年、旧陸軍は伊那市に「二つのアルプスに挟まれていて防空的立地条件」であり、敵側に発見されにくいとの理由で、伊那飛行場(正式名称:熊谷陸軍飛行学校伊那分教場)を造成しました。地域住民、旧制中学生や強制連行した朝鮮人などを駆り出し、着工から1年で完成させました。少年航空兵や見習い士官の3ヶ月の短期訓練教育に使用され、練習用航空機の赤とんぼや陸軍三式戦闘機が伊那の空を終日飛び回っていました。昭和20年8月の敗戦に伴い、米軍によって陸軍伊那飛行場は廃止されました。
戦後、敷地は民有地に払い下げられ、現在は保育所や閑静な住宅街に生まれ変わり、格納庫の基礎や弾薬庫のみが戦争遺跡として現存しており、平和な住宅街に戦争の爪痕が遺っています。
所在地:伊那市上の原
跡地出身のわきもともやし