情報・広報・HP部会
令和5、6年度 委員紹介

部 会 長 唐澤 大基
副部会長 澤田 康平
副部会長 澤田 康平
部 員 伊藤 亮太
部 員 奥原 みどり
部 員 入戸 太門
担当副支部長 堀内 秀利
↓情報広報OB会

↓部会レク(山の会)
けんちくし上伊那 発行 6月・12月
2020 新ホームページの紹介
上伊那支部のHPがSSL【暗号化通信】対応になりました!
新アドレス https://kk-shikai.net
建築士「かみいな」の紙面情報がいつでもWEBで
建築や建築士会の最新情報を、リアルタイムで更新
支部長や事務局からも、情報発信
会員(掲載希望者)・賛助会員(LINK掲載有料)の検索が可能に
情報広報HP部会では、月1度は委員会を開き、作成しています!
また、このWEB上での企業広告やLINKを募集中です。
詳細は、情報広報HP部会までお問い合わせください。
活動報告
『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載
2023-05-10
太平洋戦時中の昭和18年、旧陸軍は伊那市に「二つのアルプスに挟まれていて防空的立地条件」であり、敵側に発見されにくいとの理由で、伊那飛行場(正式名称:熊谷陸軍飛行学校伊那分教場)を造成しました。地域住民、旧制中学生や強制連行した朝鮮人などを駆り出し、着工から1年で完成させました。少年航空兵や見習い士官の3ヶ月の短期訓練教育に使用され、練習用航空機の赤とんぼや陸軍三式戦闘機が伊那の空を終日飛び回っていました。昭和20年8月の敗戦に伴い、米軍によって陸軍伊那飛行場は廃止されました。
戦後、敷地は民有地に払い下げられ、現在は保育所や閑静な住宅街に生まれ変わり、格納庫の基礎や弾薬庫のみが戦争遺跡として現存しており、平和な住宅街に戦争の爪痕が遺っています。
所在地:伊那市上の原
跡地出身のわきもともやし
『フリーテーマ』 建築士ながの掲載
2023-01-10
これを書いている現在、世間はワールドカップで盛り上がっています。日本はクロアチアに惜しくもPK戦で負けてしまいましたが、そのクロアチアは強いと思っていたブラジルもPK戦で下してしまいまいた。毎晩深夜、ネットの方で観てます。面白い。眠い。
さて、予選リーグの組み合わせをみたときには、多くの人がここまでの期待をもちながら日本の試合を観るようなことになるなどとは予想していなかったと思います。にわかサッカー観戦者の自分もその一人。ところが、一試合目のドイツ戦で逆転勝利。一気に期待感がふくらみました。次戦は負けてしまいましたが、次はなんとスペインも下して、結果的にはグループ内一位での決勝トーナメントへの進出です。日本強いよ!興奮しましたね。
ふと「ドーハの悲劇」のことを思い出しました。あと一歩でワールドカップを逃した試合。自分は当時も暗いアパートで一人でテレビで観てました。あのとき選手だった森保さんが監督となり、またドーハにやってきたんだな。ずっと続けてきたんだな。それもすごいです。
誰かがテレビでも言ってました。近頃暗いニュースばかりだけど、こんなに明るい、日本を元気にしてくれるなんてありがとう、って。自分も元気になったし、頑張ろうと思えました。
サッカーボール買ってきます。がんばります。
リフティングは5回ぐらいかな
『支部活動』 建築士ながの掲載
2022-09-10
注目オススメ
令和3年の夏以降、駒ヶ根市から中心市街地未来ビジョン検討業務を受託し、まちづくり委員会及び支部会員有志の参加のもと活動を進めています。
経緯は、『建築士フォーラム2017 in 中央アルプス』で駒ヶ根市中心市街地のまちづくり提言を行い、その2年後に空き店舗再生見学会に参画して、建築・まちづくり的視点の助言を行ってきた背景があります。
地域に暮らし、建築活動を実践する建築士会に対し、行政からは市民のまちづくり意識の高揚を図るコンサルティングが期待されています。当士会としては中心市街地は商業関係者だけでなく多くの市民の共有空間であるとの認識のもと、未来のまちづくり人と想定する子育てママ、一般市民(女性、Uターン者)、外国人、商工会議所青年部などの方々を対象としたワークショップを開催し、広く意見交換を進めました。それらの意見を踏まえ、令和3年度の業務成果として未来ビジョン(10年後の街のイメージ)を提示しました。
令和4年度は、国のまちなか再生事業補助を受け、支援業務を継続展開中です。
経緯は、『建築士フォーラム2017 in 中央アルプス』で駒ヶ根市中心市街地のまちづくり提言を行い、その2年後に空き店舗再生見学会に参画して、建築・まちづくり的視点の助言を行ってきた背景があります。
地域に暮らし、建築活動を実践する建築士会に対し、行政からは市民のまちづくり意識の高揚を図るコンサルティングが期待されています。当士会としては中心市街地は商業関係者だけでなく多くの市民の共有空間であるとの認識のもと、未来のまちづくり人と想定する子育てママ、一般市民(女性、Uターン者)、外国人、商工会議所青年部などの方々を対象としたワークショップを開催し、広く意見交換を進めました。それらの意見を踏まえ、令和3年度の業務成果として未来ビジョン(10年後の街のイメージ)を提示しました。
令和4年度は、国のまちなか再生事業補助を受け、支援業務を継続展開中です。
まちづくり委員長
『地域自慢』 建築士ながの掲載
2022-06-10
伊那谷は、西を中央アルプス、東は伊那山地~南アルプスに囲まれています。
私の家から東には、『陣馬形山』が見えます。西側には、『烏帽子ヶ岳』、『越百山』、『仙涯嶺』、『南駒ヶ岳』等が見えます。
私はそれら西側の山々の手前にある『傘山(からかさやま)』という山に時々登っています。そこまで高くないです。いわゆる里山というのでしょうか。しかし、天気さえ良ければ、越百、仙涯嶺、南駒、空木等をかなりに近くに臨むことができます。思わず「おおっ」ってなること間違いなしです。振り返ると東側には伊那谷の風景、また連なる南アルプスもこれもまたよく見えます。高い山に登るのもいいですが、そこまでしなくても山々の迫力を感じられる場所、傘山はそんな山です。
上伊那には他にもちょっと登れる山が多くあります。皆さんのお住まいの近くにも、そんな山があると思います。登ったことない方、登ってみたらまた違った感動があるかもしれません。(ただ登るときは装備はそれなりに)
傘山 上伊那郡飯島町
オレンジの人
『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載
2022-03-10
国道153号線、入舟交差点の角、弁財天宮の脇に『天竜川舟着場』の史跡標柱が残っています。
江戸から明治、天竜川では川の西と東の行き来だけでなく、地域の大量輸送の役目を担う通船が盛んとなったようです。この船着場は、3つの街道の分岐点として、物資をここで船に積み込んで、下伊那地域へ運搬供給したようです。
そんな通船も、時代の流れとともに、伊那電気鉄道の敷設や荷馬車による運送が発達することで、その役割を終えて消えていったようです。
船の発着所は形としては残っていませんが、現在の「入舟」という町名に名を残しています。ここには伊那の飲み屋さんが多く集中しています。もう船が集まる場所ではありませんが、多くの人が集まってくる場所となっています。
D.K