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(旧)駒ケ根市役所 建物への思い出
2022-12-15
私はこの建物に昭和43年から3年間を技術吏員建築係として勤めました。初任給は16,800円位だったと思います。
駒ケ根市も大型の公共建築の建設が予想されたので私も期待されていたのだと思いますが、見事に裏切って辞めてしまった訳です。
国道からは少し高い位置に建物があり、洋風建築の象徴的なモダンな庁舎でした。周辺には南東に消防署があり、その裏には勤労会館や図書館など公共施設がありました。
この図面の当時食堂とある部分はすでに食堂ではなく、土木課があり私は北側入り口から土間の通路があり北側に水道課がありました。中庭の有る建物で南側に住民課、税務課、農林課が客だまりに面してあり、議場は市長の話、辞令伝達、訓示 年末には職員のクリスマスパーティーもここでやりました。
昭和45年には新市庁舎建設が始まりました。その後博物館として移転しました。
その跡地は松電の商業ビル、セブンイレブンへと変遷して今に至っています。
当時の仕事は公営住宅平屋立て、補強CONブロック造の現場で初めてアルミサッシが出始めた時期でした。
~ エピソード ~
その日は、土木設計のために職員が測量に出る日だった。現地から蛇を取ったから料理の準備をするようにと電話が入った(私は料理番)。そのうち4時ころになって、「今日はシマヘビだぞ」(シマヘビは味が良いらしい)と言って持って帰ってきた。
予め炭を興して置いた私は、蛇の皮をむき、腹端を取り、木材の上に腹側を下に伸ばしてビール瓶で上からたたく。そうすると骨が木材に刺さり一気に取れるのだ(子供のころの経験が役に立つ)。これをウナギのかば焼きと同じように串に刺し、垂れを付けて焼くのだ。
当時の座光寺市長は無類の蛇好きで、連絡しておくと5時過ぎになると一升瓶を下げて土木課へ来て皆で食べ、土木行政を語ったものです。当時は現代と違い、何か時間のゆとりの中で人間力というか人と人が想像力のエネルギーをぶつけ合う 『力』 があったように思っています。木造の建物のぬくもりと共に、ゆとりある時間の時代であり高度成長が始まり、何もかもが前向きで建設的な環境でした。
大正時代のその時代の中でこの建物の設計・建築された匠たちの想像力のエネルギーを感じる建物で発展する日本の進むべき道しるべとなる。意味ある建築で次代へと静かに物語るものが有ると思います。
(公社)長野県建築士会 相談役 上伊那支部顧問
住宅インスペクション研究会 会長 下 平 文 隆