情報・広報・HP部会
令和5、6年度 委員紹介
部 会 長 唐澤 大基
副部会長 澤田 康平
副部会長 澤田 康平
部 員 伊藤 亮太
部 員 奥原 みどり
部 員 入戸 太門
担当副支部長 堀内 秀利
↓情報広報OB会
↓部会レク(山の会)
けんちくし上伊那 発行 6月・12月
2020 新ホームページの紹介
上伊那支部のHPがSSL【暗号化通信】対応になりました!
新アドレス https://kk-shikai.net
建築士「かみいな」の紙面情報がいつでもWEBで
建築や建築士会の最新情報を、リアルタイムで更新
支部長や事務局からも、情報発信
会員(掲載希望者)・賛助会員(LINK掲載有料)の検索が可能に
情報広報HP部会では、月1度は委員会を開き、作成しています!
また、このWEB上での企業広告やLINKを募集中です。
詳細は、情報広報HP部会までお問い合わせください。
活動報告
『まちかど美術館』 建築士ながの掲載
くねくねと山道を抜け、ようやくたどりついた先に見えるのは、赤い角の生えたRCの壁。建築家、毛綱毅曠の設計の美術館である。
近寄ってみると、横長の一枚ガラスの小さな受付。左手にトイレ棟とシンボルタワーを見つつ彫刻のある前庭を歩くと、先程とはうって変わり天井も壁もガラス張りのS造のエントランスホール。
この一面のガラス越しには、雄大な中央アルプスと眼下に中川村の景色が広がる。
が、さすがにこの季節は天井までガラス張りの小さな空間はきつく、そそくさと展示室へ。
この美術館の展示テーマ「アンフォルメル」、すなわち不定形。美術館の形状そのものでもあるような、この不思議な形状の空間には細部をこだわりデザインされたディテールがちりばめられ、この中においても施主であった鈴木崧の作品等、非具象的な絵画が主張している。なんとも不思議な空間。
その後、別棟の居住棟であった建物へ。
居住棟であるためか先程と比べ無機質感は少なく、和室には建具の手掛けや丸窓の廻る障子、全開口できる障子の外の板戸にと、優しさを感じる凝ったディテールがみられた。
抽象的な絵画を収蔵した主張の激しい尖った抽象的な建築物が、中川村の山奥の大自然の中でひっそりと、主張し溶け込む、アンフォルメルな不思議な時間と空間。
皆様も是非。
399-3801
長野県上伊那郡中川村大草2124番地
電話:0265-88-2680
辻井俊恵
『古民家探訪』 建築士ながの掲載
この小野家は近世初期から庄屋をつとめていたが、初期中山道が廃止されて間もなく、伊那街道小野宿の問屋場となり、幕末に至った。安政6年(1859)3月の大火災後に建築された本棟造りの宿駅民家で、その豪壮な構えは宿場町の中心的存在にふさわしい景観である。
梁間10間半、桁行8間半という大規模な本棟造りで、正面に胴差と妻梁の2段の太い横架材を使い、また、本棟造の正面性を強調するために、梁行10間半から発生する非対称の視覚的解消や破風に転びをつけるなど、様々な技法が駆使されているのがこの建物の特徴である。
是非一度、一般公開で内部を見学してみてください!
堀内秀利
『信州歴史街道』 建築士ながの掲載
伊那街道・岡谷道 分岐点
この場所は、松島追分といわれ、以前の松島宿の北側に位置します。
今は箕輪町中箕輪という地籍です。この道標には「右すハみち 左まつもとみち」と刻まれています。
この地点から伊那街道を北上すると宮木、小野、塩尻を通り松本へ、岡谷道を行くと沢の集落を抜けて天竜川を小河内に渡り、平出、川岸を通り諏訪へと向かいます。
この付近には、庚申塔などの石造物も多く、松島追分が伊那街道の重要分岐点のひとつであったことがうかがえます。
また上伊那唯一の前方後円墳である「王墓」がすぐ近くにあります。
古墳が好きな私としては外せないポイントです。是非一度訪れてみてはいかがですか。
『古民家探訪』 建築士ながの掲載
「伊那部」と書いて「いなべ」と読みます。
伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し、東は高遠城下、西は権兵衛峠を越え木曽へ通じる交通の要所でした。
天竜川右岸、現在の伊那市街地より一段高い段丘の上に位置し、南北330mの直線の町並みです。旧井澤家住宅は伊那部宿の最南端にあります。
宿場全戸が全焼した、天保の二度の大火にただ一軒だけ類焼をまぬがれた宿場最古の建物です。
また宿場内で唯一の破風屋(本棟造)で建坪も最大でした。珍しいことにこの建物の土間(通り)には井戸が有ります。
これは井澤家が酒造販売をしていたためで、とても特徴的です。
平成17年3月に解体復元工事が終わり、今は伊那市の資料館として使われています。
春には近くの春日城址公園や宿場内の長桂寺の桜が見事です。
是非一度お越しください。
交通アクセス:JR飯田線伊那市駅より徒歩12分
吉川貴久