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情報・広報・HP部会

令和5、6年度 委員紹介

上伊那支部 情報広報部会
  部 会 長   唐澤 大基
  副部会長  澤田 康平
  部 員   伊藤 亮太
  部 員   奥原 みどり
  部 員   入戸 太門      
担当副支部長  堀内 秀利
情報広報OB会 
部会レク(山の会) 

けんちくし上伊那 発行 6月・12月

けんちくし上伊那 No102号 表紙

~陣馬形山~ 撮影:池上 武志

けんちくし上伊那 No103号 表紙

~銀杏並木~ 撮影:池上 武志

けんちくし上伊那 No104号 表紙

~春日公園~ 撮影:池上 武志

けんちくし上伊那 No105号 表紙

~伊那市 仲仙寺~ 撮影:池上 武志

けんちくし上伊那 No106号 表紙

~駒ヶ根市 東伊那~ 撮影:太田 直子

けんちくし上伊那 No107号 表紙

~ときを経て~ 撮影:太田 直子

けんちくし上伊那 No108号 表紙

~山桜~ 撮影:太田直子

けんちくし上伊那 No109号 表紙

~仲仙寺山門 秋~ 撮影:太田直子

けんちくし上伊那 No110号 表紙

~「伝統の舞」伊那市 仲仙寺~ 撮影:太田直子

けんちくし上伊那 No111号 表紙

~高遠だるま市~ 撮影:伊那市より提供

けんちくし上伊那 No112号 表紙

~雪の千畳敷と水仙~ 撮影:吉川貴久

けんちくし上伊那 No114号 表紙

~涼しい川~ 撮影:奥原みどり

けんちくし上伊那 No115号 表紙

~天狗岩~ 撮影:奥原みどり

けんちくし上伊那 No116号 表紙

~衣笠草~ 撮影:酒井優

2020 新ホームページの紹介

NEW(黒)上伊那支部のHPがSSL【暗号化通信】対応になりました!

 新アドレス https://kk-shikai.net
 
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 支部長や事務局からも、情報発信

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情報広報HP部会では、月1度は委員会を開き、作成しています!

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詳細は、情報広報HP部会までお問い合わせください。

活動報告

『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載

2019-11-10
旧中村家住宅
 鉾持桟道沿いの軒の低いくぐり戸を抜けると、天井の低い通り土間がある。吹き抜けの囲炉裏の間があり、その奥の「きゃくま」の窓を開けると、遥か下を流れる三峯川まで見渡せる眺望が望める。
 
 旧中村家住宅は、江戸時代前期から中期の特徴を示す町家形式(棟割り長屋)の建物で、初代高遠町長を輩出し、中村不折とも縁がある家です。
 県内の民家で18世紀前期まで遡る町家の遺構は稀で、極めて貴重な建築と言えます。
 
 現在は、伊那市が寄付を受け、耐震補強リニューアル工事を施して、「環屋」として出店者が日替わりで替わりながら、様々な活動に使われています。
 
 建石光明

「フリーテーマ」 建築士ながの掲載

2019-05-10
山では、生命と弁当は自分持ち
 かつて職人の世界では、「怪我と弁当は自分持ち」でした。安全管理や休業補償の制度もなく、怪我をすれば一家は路頭に迷いました。昭和33年、当時世界最高レベルの工事だった東京タワーの記録映像には、安全帯もネットもないまま高所作業をする鳶職たちが映っています。
 慢心や軽率な行為を戒めながらも、職人の心意気を表すこの言葉は、もう古いのでしょうか。
 
 私は、治山・砂防を専攻する学生の必然として本格的に山に登り始め、社会人になると、南アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会(遭対協)の山岳救助隊員に任命されました。
 爾来、平成27年に副隊長を最後に引退するまでの34年間、警察の隊員と共に遭難救助に携わってきました。
 ささやかながら、生涯の誇りです。
 
 救助隊ではいつも先輩から、「山では、生命と弁当は自分持ち。全て自己責任。自分を守れない者に他人は救えない。」と教えられました。
 だから、遭難の一報を受け最初にするのは、自分自身の準備です。
 季節、天候、遭難場所、ビバークの可能性などを勘案し、個人装備や服装を整えます。
 その後、救助作業を想定して、ロープ、ディセンダー、アッセンダーなどの救助用具や水や食料を用意します。
 
 現場でも蛮勇は禁物。遭難者が岩壁にしがみついていようと、猛吹雪の急斜面に倒れていようとも、先ず行うのはセルフビレイ(自分の安全確保)です。
 ヘリコプターが着陸できない急峻な岩場に、ワイヤーに吊られて降り立つのは、高度3,000mでの空中ブランコ。
 落ちれば確実にお陀仏なので、ハーネスやカラビナの装着は何度も確認します。
 人命救助だからこそ、自分を守ることに寸分の妥協もありません。
 
 工事現場の安全管理が徹底されている昨今ですが、だからといって「安全」は漫然と与えられるものではありません。
 現場の戒めとして、これからも「怪我と弁当は自分持ち」という気持ちを大切にしたいものです。
 
 三井栄二

『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載

2018-10-10
伊那市の看板建築
 大正8年6月旧伊那町(昭和29年に伊那市)で全焼59戸、半焼43戸の大火があり、その後商店が次々と建築されたと記されています。
   「伊那市誌・伊那市の歴史」 参考

 伊那市の看板建築はその際建築されたもので、大正ロマンを感じる建物が並んでいます。
 
 日頃はアーケードの上で見過ごされていますが、建築士会青年委員会でも以前紹介しています。
 「遺したいまちなか」という言葉は重いですが、保存して頂けたらと思います。
 
 建築史家・藤森照信氏が命名したもので、関東大震災後、商店などに用いられた建築様式のことのようです。
 建物前面をモルタルなどで仕上げて装飾をつけています。
 銅が安かった時代を反映してか銅板の看板建築もいくつかあります。
 
 金澤直樹

『ふるさとの民家』 建築士ながの掲載

2018-07-13
進徳館
 長野県上伊那郡伊那市高遠町の高遠城址内にある高遠藩の藩校である。
 第8代藩主内藤頼直が1860年に城内三の丸旧内藤蔵人の屋敷に学問所:進徳館を開いた。
 ご存知の方もいるかも知れませんが高遠コヒガン桜で有名な高遠城址内に有ります。
 お花見の際には是非寄って高遠藩の武士達が武道、和学など学んだ空間に身を置き当時の気配を感じて頂きたいと思います。
 
 余談ですが私は県立高遠高等学校の出身で、私が学んだ木造校舎は当時この城址公園内に建っており進徳館を施設の一部として活用していました。
 特に利用していたのは華道・茶道部でした。私は蹴球部でしたので不純な動機で女子の立てたお茶をいただいた思い出が有ります。
 
所在地:長野県伊那市高遠町(高遠城址公園内)
 
 丸山幸弘

『環境の中の建築』 建築士ながの掲載

飯田市歴史研究所が行う市民向け講座「暮らしと住まい」
 飯田市歴史研究所が行う市民向け講座「暮らしと住まい」伊那谷の住宅史の講座の一つを担当することになった。
 伊那で発行されたリトルプレス「CAMP」に寄稿した記事を目に止めて声をかけて頂いた。
 その記事はスイスの教会を見学した時の印象が、長野の環境と風景から受ける印象が似ていたこと、建築を地域や風土、環境に合わせてつくっていく重要性について書いた。
 講義では、豊かな自然環境を生かした建築の設計、プロセスについて話そうと思っている。
 
 話は変わり、数年前より母校で設計演習の非常勤講師をしている。
 最終課題は実際の街の6区画の1つを選び住宅を設計するというもの。選ばれた発表作品が偶然6区画に該当し、模型を街区に並べてみた。
 一つ一つは丁寧に設計されて評価できるが、それぞれの個性と価値観、集まった時の違和感が大きい。
 実際に6組の建築家に設計させたとしても同じような結果になるのではないかと想像し、本当にこれで良いのかと悩んでしまう。
 
 私は、周辺環境の中で成立する建築、作家性や作意を超えて普遍的な建築を模索しています。
 
 須永次郎
公益社団法人
長野県建築士会 上伊那支部
〒396-8666
長野県伊那市荒井3497
伊那合同庁舎伊那建設事務所内
TEL.0265-78-6403
FAX.0265-76-2136
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1.建築関係団体との連携
2.建築行政への協力
3.地域社会活動への参加
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