情報・広報・HP部会
活動
- 「けんちくし上伊那」№114号、№115号 作成・編集・発行 (例年6月今年度8月、12月)
- 「建築士ながの」担当原稿の依頼・作成
- 会報及びHPへの企業広告の掲載依頼
- 上伊那支部HP更新作業
コロナがはやく落ち着いて、またたくさんの活動ができることを望みます。
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けんちくし上伊那 発行 6月・12月
2020 新ホームページの紹介
上伊那支部のHPがSSL【暗号化通信】対応になりました!
新アドレス https://kk-shikai.net
建築士「かみいな」の紙面情報がいつでもWEBで
建築や建築士会の最新情報を、リアルタイムで更新
支部長や事務局からも、情報発信
会員(掲載希望者)・賛助会員(LINK掲載有料)の検索が可能に
情報広報HP部会では、月1度は委員会を開き、作成しています!
また、このWEB上での企業広告やLINKを募集中です。
詳細は、情報広報HP部会までお問い合わせください。
活動報告
『信州歴史街道』 建築士ながの掲載
伊那街道・岡谷道 分岐点
この場所は、松島追分といわれ、以前の松島宿の北側に位置します。
今は箕輪町中箕輪という地籍です。この道標には「右すハみち 左まつもとみち」と刻まれています。
この地点から伊那街道を北上すると宮木、小野、塩尻を通り松本へ、岡谷道を行くと沢の集落を抜けて天竜川を小河内に渡り、平出、川岸を通り諏訪へと向かいます。
この付近には、庚申塔などの石造物も多く、松島追分が伊那街道の重要分岐点のひとつであったことがうかがえます。
また上伊那唯一の前方後円墳である「王墓」がすぐ近くにあります。
古墳が好きな私としては外せないポイントです。是非一度訪れてみてはいかがですか。
『地域自慢』 建築士ながの掲載
2020-02-10
南アルプスの山々と、日本最大級の断層である中央構造線が通る伊那市、飯田市から富士見町までのエリアは、2008年に日本ジオパーク(大地の公園)に認定されました。
南アルプスは3000mを超える山が13座もあります。仙丈ケ岳(3,033m)は、三つのカールを抱えた優美で緩やかな山容や、花畑が美しいことで“南アルプスの女王”と呼ばれています。
カール地形下方には氷河が運んだ岩くずがたまった三日月形のモレーンがあり、一年中氷河に閉ざされていた時代の記憶を今に伝えています。
また、北の主峰である甲斐駒ヶ岳(2,967m)は、地下でマグマが固まった花こう岩が隆起してできた山で、夏でも山肌が白く、雪があると見間違うほどです。
南アルプス(中央構造線エリア)ジオパークには、雄大な山岳景観と豊かな自然、そして日本列島の土台を作った「プレートの沈み込み」よる様々な地形があります。
太古から積み重なった歴史に触れることができ、ここにしかない特別な感動を味わうことができます。
藤田めぐみ
『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載
2019-11-10
鉾持桟道沿いの軒の低いくぐり戸を抜けると、天井の低い通り土間がある。吹き抜けの囲炉裏の間があり、その奥の「きゃくま」の窓を開けると、遥か下を流れる三峯川まで見渡せる眺望が望める。
旧中村家住宅は、江戸時代前期から中期の特徴を示す町家形式(棟割り長屋)の建物で、初代高遠町長を輩出し、中村不折とも縁がある家です。
県内の民家で18世紀前期まで遡る町家の遺構は稀で、極めて貴重な建築と言えます。
現在は、伊那市が寄付を受け、耐震補強リニューアル工事を施して、「環屋」として出店者が日替わりで替わりながら、様々な活動に使われています。
建石光明
「フリーテーマ」 建築士ながの掲載
2019-05-10
かつて職人の世界では、「怪我と弁当は自分持ち」でした。安全管理や休業補償の制度もなく、怪我をすれば一家は路頭に迷いました。昭和33年、当時世界最高レベルの工事だった東京タワーの記録映像には、安全帯もネットもないまま高所作業をする鳶職たちが映っています。
慢心や軽率な行為を戒めながらも、職人の心意気を表すこの言葉は、もう古いのでしょうか。
私は、治山・砂防を専攻する学生の必然として本格的に山に登り始め、社会人になると、南アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会(遭対協)の山岳救助隊員に任命されました。
爾来、平成27年に副隊長を最後に引退するまでの34年間、警察の隊員と共に遭難救助に携わってきました。
ささやかながら、生涯の誇りです。
救助隊ではいつも先輩から、「山では、生命と弁当は自分持ち。全て自己責任。自分を守れない者に他人は救えない。」と教えられました。
だから、遭難の一報を受け最初にするのは、自分自身の準備です。
季節、天候、遭難場所、ビバークの可能性などを勘案し、個人装備や服装を整えます。
その後、救助作業を想定して、ロープ、ディセンダー、アッセンダーなどの救助用具や水や食料を用意します。
現場でも蛮勇は禁物。遭難者が岩壁にしがみついていようと、猛吹雪の急斜面に倒れていようとも、先ず行うのはセルフビレイ(自分の安全確保)です。
ヘリコプターが着陸できない急峻な岩場に、ワイヤーに吊られて降り立つのは、高度3,000mでの空中ブランコ。
落ちれば確実にお陀仏なので、ハーネスやカラビナの装着は何度も確認します。
人命救助だからこそ、自分を守ることに寸分の妥協もありません。
工事現場の安全管理が徹底されている昨今ですが、だからといって「安全」は漫然と与えられるものではありません。
現場の戒めとして、これからも「怪我と弁当は自分持ち」という気持ちを大切にしたいものです。
三井栄二
『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載
2018-10-10
大正8年6月旧伊那町(昭和29年に伊那市)で全焼59戸、半焼43戸の大火があり、その後商店が次々と建築されたと記されています。
「伊那市誌・伊那市の歴史」 参考
伊那市の看板建築はその際建築されたもので、大正ロマンを感じる建物が並んでいます。
日頃はアーケードの上で見過ごされていますが、建築士会青年委員会でも以前紹介しています。
「遺したいまちなか」という言葉は重いですが、保存して頂けたらと思います。
建築史家・藤森照信氏が命名したもので、関東大震災後、商店などに用いられた建築様式のことのようです。
建物前面をモルタルなどで仕上げて装飾をつけています。
銅が安かった時代を反映してか銅板の看板建築もいくつかあります。
金澤直樹


















