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情報・広報・HP部会

活動

  1. 「けんちくし上伊那」№114号、№115号 作成・編集・発行 (例年6月今年度8月、12月)
  2. 「建築士ながの」担当原稿の依頼・作成
  3. 会報及びHPへの企業広告の掲載依頼
  4. 上伊那支部HP更新作業
 

コロナがはやく落ち着いて、またたくさんの活動ができることを望みます。


 

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― 会員・賛助会員価格 2,000円/半年 会員外価格 6,000円/半年 ―
 

けんちくし上伊那 発行 6月・12月

けんちくし上伊那 No102号 表紙

~陣馬形山~ 撮影:池上 武志

2020 新ホームページの紹介

NEW(黒)上伊那支部のHPがSSL【暗号化通信】対応になりました!

 新アドレス https://kk-shikai.net
 

建築士「かみいな」の紙面情報がいつでもWEBで

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情報広報HP部会では、月1度は委員会を開き、作成しています!

また、このWEB上での企業広告やLINKを募集中です。
詳細は、情報広報HP部会までお問い合わせください。

活動報告

『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載

2019-11-10
旧中村家住宅
 鉾持桟道沿いの軒の低いくぐり戸を抜けると、天井の低い通り土間がある。吹き抜けの囲炉裏の間があり、その奥の「きゃくま」の窓を開けると、遥か下を流れる三峯川まで見渡せる眺望が望める。
 
 旧中村家住宅は、江戸時代前期から中期の特徴を示す町家形式(棟割り長屋)の建物で、初代高遠町長を輩出し、中村不折とも縁がある家です。
 県内の民家で18世紀前期まで遡る町家の遺構は稀で、極めて貴重な建築と言えます。
 
 現在は、伊那市が寄付を受け、耐震補強リニューアル工事を施して、「環屋」として出店者が日替わりで替わりながら、様々な活動に使われています。
 
 建石光明

「フリーテーマ」 建築士ながの掲載

2019-05-10
山では、生命と弁当は自分持ち
 かつて職人の世界では、「怪我と弁当は自分持ち」でした。安全管理や休業補償の制度もなく、怪我をすれば一家は路頭に迷いました。昭和33年、当時世界最高レベルの工事だった東京タワーの記録映像には、安全帯もネットもないまま高所作業をする鳶職たちが映っています。
 慢心や軽率な行為を戒めながらも、職人の心意気を表すこの言葉は、もう古いのでしょうか。
 
 私は、治山・砂防を専攻する学生の必然として本格的に山に登り始め、社会人になると、南アルプス北部地区山岳遭難防止対策協会(遭対協)の山岳救助隊員に任命されました。
 爾来、平成27年に副隊長を最後に引退するまでの34年間、警察の隊員と共に遭難救助に携わってきました。
 ささやかながら、生涯の誇りです。
 
 救助隊ではいつも先輩から、「山では、生命と弁当は自分持ち。全て自己責任。自分を守れない者に他人は救えない。」と教えられました。
 だから、遭難の一報を受け最初にするのは、自分自身の準備です。
 季節、天候、遭難場所、ビバークの可能性などを勘案し、個人装備や服装を整えます。
 その後、救助作業を想定して、ロープ、ディセンダー、アッセンダーなどの救助用具や水や食料を用意します。
 
 現場でも蛮勇は禁物。遭難者が岩壁にしがみついていようと、猛吹雪の急斜面に倒れていようとも、先ず行うのはセルフビレイ(自分の安全確保)です。
 ヘリコプターが着陸できない急峻な岩場に、ワイヤーに吊られて降り立つのは、高度3,000mでの空中ブランコ。
 落ちれば確実にお陀仏なので、ハーネスやカラビナの装着は何度も確認します。
 人命救助だからこそ、自分を守ることに寸分の妥協もありません。
 
 工事現場の安全管理が徹底されている昨今ですが、だからといって「安全」は漫然と与えられるものではありません。
 現場の戒めとして、これからも「怪我と弁当は自分持ち」という気持ちを大切にしたいものです。
 
 三井栄二

『遺したいまちなか』 建築士ながの掲載

2018-10-10
伊那市の看板建築
 大正8年6月旧伊那町(昭和29年に伊那市)で全焼59戸、半焼43戸の大火があり、その後商店が次々と建築されたと記されています。
   「伊那市誌・伊那市の歴史」 参考

 伊那市の看板建築はその際建築されたもので、大正ロマンを感じる建物が並んでいます。
 
 日頃はアーケードの上で見過ごされていますが、建築士会青年委員会でも以前紹介しています。
 「遺したいまちなか」という言葉は重いですが、保存して頂けたらと思います。
 
 建築史家・藤森照信氏が命名したもので、関東大震災後、商店などに用いられた建築様式のことのようです。
 建物前面をモルタルなどで仕上げて装飾をつけています。
 銅が安かった時代を反映してか銅板の看板建築もいくつかあります。
 
 金澤直樹

『古民家探訪』 建築士ながの掲載

小野宿問屋(旧小野家住宅)
 この小野家は近世初期から庄屋をつとめていたが、初期中山道が廃止されて間もなく、伊那街道小野宿の問屋場となり、幕末に至った。安政6年(1859)3月の大火災後に建築された本棟造りの宿駅民家で、その豪壮な構えは宿場町の中心的存在にふさわしい景観である。
 
 梁間10間半、桁行8間半という大規模な本棟造りで、正面に胴差と妻梁の2段の太い横架材を使い、また、本棟造の正面性を強調するために、梁行10間半から発生する非対称の視覚的解消や破風に転びをつけるなど、様々な技法が駆使されているのがこの建物の特徴である。

 是非一度、一般公開で内部を見学してみてください!

 堀内秀利

『古民家探訪』 建築士ながの掲載

伊那部宿 旧井澤家住宅
伊那市HPより引用
 「伊那部」と書いて「いなべ」と読みます。
 
 伊那部宿は伊那街道の中で飯田城下と塩尻の中間に位置し、東は高遠城下、西は権兵衛峠を越え木曽へ通じる交通の要所でした。
 天竜川右岸、現在の伊那市街地より一段高い段丘の上に位置し、南北330mの直線の町並みです。旧井澤家住宅は伊那部宿の最南端にあります。
 
 宿場全戸が全焼した、天保の二度の大火にただ一軒だけ類焼をまぬがれた宿場最古の建物です。
 また宿場内で唯一の破風屋(本棟造)で建坪も最大でした。珍しいことにこの建物の土間(通り)には井戸が有ります。
 これは井澤家が酒造販売をしていたためで、とても特徴的です。
 
 平成17年3月に解体復元工事が終わり、今は伊那市の資料館として使われています。
 春には近くの春日城址公園や宿場内の長桂寺の桜が見事です。
 
 是非一度お越しください。
 
 
所在地:伊那市西町5597-4
交通アクセス:JR飯田線伊那市駅より徒歩12分

 吉川貴久
公益社団法人
長野県建築士会 上伊那支部
〒396-8666
長野県伊那市荒井3497
伊那合同庁舎伊那建設事務所内
TEL.0265-78-6403
FAX.0265-76-2136
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1.建築関係団体との連携
2.建築行政への協力
3.地域社会活動への参加
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